長い休止期間を経て次に出会うのが2003年5月です。
軽く20年ほど間が空いてしまうのである。
その間、地元の同級生なんかとは何度となく思い出話に
紙飛行機が登場するのですが、機体を製作することは
ありませんでした。
しかし、ついにその時は訪れました。
いつものように仲間内で話題に上がり今度は
やろうということになったのです・・・・が、勢いだけで
その後に皆が作って飛ばすことはなかったのですが、
この当時は、すでにネット環境が整っており
色々なものがネットで購入、検索できる時代でありました。
で、私は二宮先生の切り抜き本(1~5)までを購入し
気に行ったものを製作しては、近くの小学校の校庭で
飛ばしていました。
この頃は、20~25秒ほど飛ぶことはありましたが、
偶然で本来の飛ばすための調整や製作精度は、完全無視で
ございました。
これがきっかけで小学校当時の思いとシンクロして
気分はすっかりその当時へ・・・楽しくて仕方ありません。
ネットでも「紙飛行機」などで検索して色々と見て回って
いたのですが、そこでどっぷりこの世界に浸かる教室へ
行ってしまったのです。
2003年の7月にネットで見つけた
木曽三川公園紙飛行機教室、うちからは15分ほどです。
こんな近くで教室が・・・行くしかないでしょ。
通常は親子連れが子供さんのためにというのが一般的ですが、
私は自分で作った機体も持って教室に参加しました。
このとき作った機体が東京の古野さん設計の
スターターFです。現在は製造中止になってます。
胴体がバルサ材(木製)で翼が紙というハイブリッドな機体でした。
この時まで胴体がバルサ材の機体を知りませんでした。
写真は、2007年の頃の教室風景です。
師匠の山田さんです。ここの主でございます。
左から3人目の赤い先尾翼を持っている
山口さんに最初の教室でレクチャーを受けました。
山口さんには、最初の教室で9月に予選会があるから
愛知の森林公園へ行っておいでと言われましたが、
その時はまだピンと来ておりませんでした。
午前中にスターターFを製作し午後から広場で飛ばすからと言われ
広場へ移動しました。
そこで目にしたものが、衝撃的で虜になってしまったのです。
少し大げさかもしれませんが、私の中ではかなりの衝撃、感動でした。
皆さんたくさんの紙飛行機を段ボールで作った箱から
思い思いの機体を取り出し、糸ゴムを使って飛ばし始めました。
なんなのその高さ!
え~、そんなに長く飛ぶの!?
今まで見たことのない高さまで上がって行き
ふわふわといつまでも飛んでいます。
小学生のときは、作る楽しみがほぼ100%で飛ぶことは
ほとんど皆無でした。
20年の時を経てその紙飛行機達が飛んでおります。
もう自分の中での興奮がMAXに達していました。
この興奮度を理解できる方は、常人の方でいないでしょうね。
アホでしょ~、私。
何と言われようと構いません。
この日を境に私の生活パターンは一変します。
今日は、これぐらいにしまーす。
一応、下書きはその4まで出来てますので4までは行けます。
この私が、ハマり出した時に出てた本のご紹介です。
工作読本には、ホワイトウイングスの応募券があって
レーサー520が当たりました。
工作読本の中身です。
やインドアプレーン、ラジコンと模型飛行機全般が
番組で取り上げられていました。
何回も目を通している本です。
「その2、いきまーす。」のくだりは、ガンダム世代のあらわれですか?私もガンダム大好きです。「アムロ、いきまーす」
返信削除いらっしゃいませ~、
削除そうですね。小学生の頃は、ガンプラをよく作りました。
近所の模型屋さんで予約して買ってましたね。人気のある
ものは予約しないと買えなかったです。